お正月に歳神様(その年の福徳を司る神様で、この神様がいる方向を恵方という)を迎えるために、年末にはさまざまな準備をします。
なお、除夜の鐘は百八回撞(つ)きますが、これには諸説あります。なかでもよく言われるのは、人間が過去、現在、未来にわたって持つ百八つの煩悩を打ち破り、罪業の消滅を願うという説です。
正月飾りは十二月十三日から二十八日頃までに飾ります。二十九日に立てるのは「苦立て」「二重苦」などといって嫌われます。また、三十一日に立てるのも「一夜飾り」といって、縁起が悪いとされます。
家の門や玄関に立てる飾りの松のことで、歳神(としがみ)様を最初に迎え入れるための依代(よりしろ=神が宿るもの)の意味合いがあります。飾り方などは各地方により異なりますが、長さが異なる三本の竹を中心にして、松、笹、梅などをあしらい荒縄で束ねたものです。
門松の竹には、斜に切り落とした「そぎ」の他に、先端を真横に切った「寸胴(ずんどう)」があります。もともと武家社会では、この寸胴が使われていましたが、徳川家康が三方ヶ原の戦い(一五七二年)に敗れたあと、敵将の武田信玄に「次は倒すぞ」との念を込め、そぎを始めたという俗説があります。現在ではあまり見かけなくなりました。
しめ縄で作ったお飾りのことで、「玉飾り」や「輪飾り」などがあります。玉飾りは、しめ縄に裏白(裏が白い葉)や橙(ミカン科の果実の一種)などの縁起物、四手(細長い紙の垂れ)、水引などをあしらったもので、悪気が家の中に入らないようにという意味から、玄関の軒下に飾ります。また、台所や水道の蛇口、車などの大切な場所や道具に飾るものは、一般的に輪飾りと呼ばれます。
円形に作った餅を大小二個ひと重ねにしたもので、歳神様のお供物です。丸い餅は、魂をかたどったものとも考えられ、神様にお供えした鏡餅を食べると、新たな生命力が授かるといわれています。また、二つの大小の餅は陰(月)と陽(太陽)をあらわしており、この二つを重ねることには、福徳が重なる意味も込められています。
各地方により鏡餅の飾り方に違いはありますが、奉書紙(ほうしょがみ)または半紙を三方に敷いて、裏白、ゆずり葉、四手、昆布などを左右対称に見えるように飾り、その上に鏡餅、一番上に桧を重ねたものが一般的です。現在、家庭で飾る場合は一般的に、三方もしくは四角い塗り盆に半紙や和紙を敷いて、その上に餅、一番上に桧もしくは葉つさのみかんを飾るという略式化されたものが多いようです。
お正月には、さまざまな行事があり、それぞれに深い意味があります。
お正月には、さまざまな行事があり、それぞれに深い意味があります。
その年の最初に昇ってくる太陽を拝み、幸運を祈ります。なお、「ご来光」というのは、高い山の山頂近くの雲に映った自分の影が、光の輪を背にした仏像のように見えたことから、仏の「ご来光」との語呂合わせで「ご来光」と呼ばれるようになったといわれます。
初詣は比較的新しい習價。江戸時代後半に、その年、緑起がよいとされる方向の寺社に参拝する「恵方参り」が盛んになり、これか初詣のルーツのひとつといわれています。
初詣は年が明けてから初めて神社や寺院。教会などに参拝し、新年の無事と平安を願うもの。7日までにすませましょう。
本来は家長が、まずは氏神様に、次にその年の「恵方」にあたる社寺にお参りします。お守り、護摩札、破魔矢などを求めて、自宅の神棚などに祀ります。現在は恵方に限らず、近所の社寺や有名な社寺にお参りするのが一般的です。
神社の鳥居をくぐり、手水舎(てみずしゃとも呼ぶ)で身を清めてから参拝します。
①柄杓(ひしゃく)を右手で取り、左手をすすぐ。 |
②柄杓を左手に持ち換え、右手をすすぐ。 |
③柄杓を右手に持ち換え、左手のひらに水を注ぎ、その水で口をすすぐ。その際、柄杓に口をつけないように注意する。 |
④最後にもう一度左手をすすぐ。 |
神前では、姿勢を正してから、二拝二拍手一拝の作法でお参りします。
元日の早朝に井戸から最初に汲む水を「若水(わかみず)」といいます。かつては、元旦の早朝。一家の主人か井戸や泉、川に汲みに行き、歳神様に供えました。この水を飲めば、一年の邪気を払うと信じられ、口をすすいだり、雑煮を作るのに使います。
お屠蘇(とそ)は「邪気を払い、不老長寿を得る」と信じられ、中国から平安時代に伝わりました。宮中の元日の儀式として取り入れられ、やがて庶民の間にも広がったといわれます。 お屠蘇は肉桂(にっけい)、陳皮(ちんぴ)、山淑(さんしょう)、白朮(びゃくじゅつ)、桔梗(ききょう)などの生薬を日本酒に浸して作ります。現代では、薬局などで売っている「屠蘇延命散」(屠蘇散)を、お酒やみりんに浸してつくります。アルコールが苦手な方やお子さんには、日本酒の代わりにみりんで作るとよいでしょう。
お屠蘇を飲むには、正式には屠蘇器と三つ重ねの盃を用います。一つの盃を回して飲みますが、それは、神と人、人と人との結びつきを強める役割かあります。
元日に家族一同が揃い、家長のお酌で若い人から先に杯を回して飲みます。若い人が先に飲む理由は、若者の活気にあやかるためといわれています。あるいは家長から飲む場合もあり、地域によってさまざまです。三つ重ねの盃の場合、上から順番に一杯ずつ計三杯飲みます。
おせち(御節)は、本来は、季節の変わり目の節日に供える食べ物節供に「節供」を略したものです。歳神様に備えるための料理でしたが、現在は正月三が日に食べるようになりました。
節日とは一年の節日に当たりお祝いをする日で、一月一日(元日)、一月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)などが代表的な節日とされます。
この日は年神様に供えた料理のおさがりをいただくことで、神様から力を授かり、守護を得られるものと考えました。また、歳神様がいらっしゃる間は煮炊きは控えるという考えや、いつも忙しい主婦が正月三が日くらいは炊事をしないで過ごすためという考えもあります。
正式には、壱の重、弐の重、参の重、与の重。控えの重の五段重を用いますが、最近では三段重が主流。メニューは地域や家などによって異なります。
新年のおせち料理をいただくお祝い箸です。両側の先端が細く丸くなっていて、食事に使用する反対側は歳神様がお使いになるとも考えられています。
もともとは、歳神様にお供えした餅にを野菜とともに煮込んで食べたのがはじまりといわれ、地域または家庭によって特色があります。関東では、すまし汁に焼いた四角い切り餅、関西では白味噌仕立てで丸餅を入れるのか一般的。古くは、儀礼的酒宴などで最初に出され、食べて胃を安定させたともいわれています。
かつてお年玉は年の初めの贈り物全般を意味しました。それはお歳暮などとは違い、目上の人から年少者に分け与えたのが始まりといわれます。かつてお年玉は歳神様から新年に授かる「魂」を意味してました。
お供えからおろされた鏡餅は、「歳神様からの賜り物」とも考えられ。鏡餅は神様が依りつくところでご利益があるため、このお餅を食べることで、ひとつ年をとると考えられていたのです。
そのお餅や新調した衣服、履物などを、商家の主人が使用人へ与えたり、親から子へと与える習慣がありました。その贈り物の中身が、現在のお金へと変化したと考えられています。
鹿児島県の甑島(こしきしま)では、トシドン(歳神)に扮した村人が家々を訪れ、子どもたちに配る丸いお餅を「年玉」と呼んでいます。
餅をたくさん供え、皆に分ける風習などから、歳神様へのお供えであると同時に、歳神様から分け与えられるもの、すなわち神との「共食」が本来の「お年玉」であったということです。
正月二日に筆をとり、一年の抱負や目標を書きます。もともと江戸時代に、神棚に供えてある「若水」で墨をすり、恵方に向かって、めでたい言葉や詩歌を書いたのが始まりといわれます。書いた書は、小正月の15日のに各地の火祭りで燃やす「左義長(さぎちょう)」(地域によって名称に違いがあり、「どんど焼き」や「鬼火たき」などとも呼ばれる。)と呼ばれる行事で燃やします。炎が高く上がると字や絵が上達するといわれています。
正月一日の夜に見る夢です。二日の夜に見た夢を初夢とする説もありますが、これは仕事始めなどが二日にあることに由来するようです。
初夢の内容で一年の運勢がわかるという言い伝えがあるため、古くから、いい夢を見るための工夫がされてきました。
縁起がいいのは「一富士二鷹三茄子」といわれますが、一に富士山、二に愛鷹(あしたか)山、三に初茄子がよく挙げられます。その由来には諸説ありますが、富士は「無事」に、鷹は「志高く」に、茄子は「事を成す」に通じるという語呂合わせがあります。また、当時天下を取った徳川家康にあやかりたいという庶民の願いから、駿河で高いものを並べたともいわれています。
江戸時代に流行したのが、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷くこと。悪い夢を見たときは、その紙を悪夢とともに川に流して厄祓いをします。ほかにも「長き夜のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな」という回文の歌を書いた宝船の絵や、悪い夢を食べてくれる摸を描いた絵を枕の下に敷くことも、効果があるとされます。 縁起のよい夢には「一富士、二鷹、三茄子」がよく挙げられます。
最近では元日から初売りをするお店もあり、お年玉での「初買い」向けのセールもあります。
一月七日は、五節句のひとつ「人日の節句」。六日の夜に春の七草全てを刻んで神様にお供えし、7日の朝には粥に入れて「七草粥」をいただくのが習わしです。新芽の活力をもらうとともに、正月のご馳走で疲れた胃腸をいたわり、野菜不足を補う目的もあります。春の七草とは、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな(かぶ)・すずしろ(大根)のことです。
平安時代、貴族たちは一月最初の子(ね)の日に行楽に出かけ、若菜捕みをしました。それを詣(熱い吸い物)にして食べ、病災を祓う行事がありました。人日(じんじつ=一月七日の節句)に粥を食べる風習も中国から伝わり、若菜を入れて七草粥として食べるようになりました。人日は中国の古い習俗ですか、日本でも七日は七日正月といって、大正月が終わり、小正月準備が始まる節目とされました。七草粥や七草をゆでた汁に爪をひたして切るなどのまじないをして、邪気を祓いました。
最近ではスーパーなどで七草セットが売られるので、それを使うのも手軽でよいでしょう。
一月十一日に、お正月にお供えした鏡餅を下げて、雑煮やお汁粉に入れて食べるのが鏡開きです。もとは二十日の正月納めの日に行われていましたが、江戸時代に、幕府や武家が鎧甲に供えておいた具足餅を食べる「具足開き」を十一日に定めたために、多くの地域でこの日に合わせて行うようになりました。
鏡餅は、刃物で切るのではなく、槌を使って開きます。これは、鏡開きが室町時代の武家の間で行われていたことから、武家では、切腹を連想させる「切る」という言葉を避けていたことに由来して、包丁を使わずに手や木槌などで割って開き(切るを忌んで、開くと表現)ます。「開く」というのは、末広がりに通じる、縁起をかつぐ言い方です。
もともとは、主従や家族の親密を図る行事だったようです。
また、餅には稲の霊が宿るため、細かく砕いたかけらも残さず食べることが、歳神様とのつながりをより深くし年歳様の霊力を得られるとされます。
開いたお餅を家族といただきながら、一家の円満と繁栄を祈念しましょう。
新月を月はじめとする旧暦では、毎月十五日は満月に当たります。一月十五日はその年はじめての満月の日。満月をめでたいものとする時代の名残りから、元旦を「大正月」というのに対し、十五日を「小正月(こしょうがつ)」といって祝います。
小正月の行事は地域によって正月よりも多種多様だとされています。主なところでは、14日から柳などの木に小さく切った餅や団子を刺したり、繭玉を刺す「餅花」を作って飾ったり、15日の朝には小豆粥を食べ、正月飾りを焚いたり(左義長(さぎちょう)、どんど焼きなど)するなどの行事が多いようです。
小正月は、別名「女正月」ともいい、正月の間忙しかった女性をいたわる日でもありました。小規模で家庭的なところも小正月の特徴。小豆粥を食べて一家の健康を祈願したり、餅花を作って豊作を祈る習わしがあります。
正月15日に小豆粥を炊いて食べることで1年の邪気を祓います。もともとは中国から伝わった風習です。
動画引用先
- 東大阪市役所;農作物の豊凶と天候を占う~粥占神事
- https://www.youtube.com/watch?v=_bZQa0YhKDg
小豆粥を炊き、竹筒の中に入った小豆や米の状態で農作物の豊凶を占うもの。現在でも神社の神事として行われています。
餅花 | 繭玉 |
---|---|
小正月には、紅白の餅の玉をたくさんつけた「餅花」という飾り木を飾ります。餅や団子を繭の形にした「繭玉」を飾る地域もあります。 まゆだまは「マイダマ」というところもあり、「米玉」の意味ではないかという説もあります。繭の生産が盛んになると、繭を模した繭玉がつくられるようになり、二月の初午(はつうま)に飾るところもあります。
一連の正月行事は、「祝い納めの日」である一月二十日の「二十日正月」をもって納めます。この日の早朝、年神様がそれぞれの場所に帰るといわれます。地域によって異なりますが、この日にはお正月の飾り物などを全て片付け終え、締めくくる日とされています。
小正月で使った用具の片づけや、お正月のごちそうの食べ納めをするのもこの日です。京阪神地方では、「骨正月」「頭正月」などとも呼ばれますが、これはお正月のごちそうだった鰤(ぶり)などの魚が骨や頭だけになったのを、煮物などに入れて食べ尽くす風習から生まれた言葉のようです。お正月に使った鰤(ぶり)の骨や頭は、酒粕に漬けておき、里芋やだいこん、ごぽう、大豆などと煮て食べました。また、小正月に実家に帰っていた嫁も、二十日には婚家に帰るのがしきたりです。
どんと祭り、どんど焼きともいわれ、小正月(一月十五日)の前後に、正月飾りなどを神社や寺院の境内などで焼く儀式です。十四日の夜、もしくは十五日の朝から火を炊き始め、前年のお札やしめ飾り、門松、書き初めなどをくべて燃やし、無病息災と五穀豊穣を祈ります。焼くときの煙にのって、歳神様が天上にお帰りになるともいわれます。
左義長の火で焼いた餅や団子を食べると、厄から逃れられるといわれます。また、書き初めが煙とともに高く舞い上がると、書道が上達するという言い伝えもあります。昔は子ども組が小屋をつくって、一晩寝食を共にすることもありました。
平安時代宮中で、毬杖(ぎちょう)という毬打ちの遊具を三本立てて焼く行事が行われれており、「左義長」の語源ではないかといわれています。
全国的に行われる小正月の火祭り行事ですが、その呼称は地域によってさまざま。
門松を取り外すのは「松納め」ともいい、正月行事が一段落する小正月(一月十五日)、一月六日の夕方、七草(一月七日に七草粥を食べてから)、また十日まで飾って、十一日に片付け、「どんと焼き」にもって行くところもあります。早いところでは、仕事始めの一月四日(勤勉な伊達藩の「仙台の四日門松」は有名)というように地域の風習によることが多いです。
関東では一月六日の夜、または七日の明るいうちに片付け、どんと焼きを行っている神社や寺院の境内で燃やします。近くで、どんと焼きなどの行事がないところでは、丁寧に新聞紙や包装紙などで小さく包み、地域のごみ処理の方法にしたがって、始末されるとよいでしょう。
年始の挨拶回りにはどんな品物を持参するのがいいですか?
本家に親族が集って新年を祝ったことがはじまりで、年賀ともいいます。現在では、親せきや世話になっている人を訪問し、あいさつすることをいい、元旦は避けて松の内(1月7日まで)にすませます。
表書きの種類
昔の年始回りは扇子、はがきなどの品物を持って、日頃お世話になっている家を一軒一軒回り、あいさつをしたようです。訪問時期は元日は避け、二日以降で松の内に済ませていました。現在では、昔ほど年始の挨拶回りは行われなくなっていますが、それでもお世話になった方やご近所へ回られる方は多くいらっしゃいます。とくに企業においては、お得意先や取引先などを中心に、年始回りは重要な行事として定着しています。三が日を過ぎて一月四日(仕事始めの日)から十五日ごろまでに行われるようですが、基本は松の内(七日まで)の間です。
○会社としての得意先への挨拶回り
タオル・手ぬぐい・文房具・日本茶・紅茶・コーヒー・菓子折り
○個人同士の挨拶回り
タオル・手ぬぐい・干支の置物・菓子折り
昔の農民の間では、元日に他家を訪問するのは両隣と本家ぐらいでした。現在のように、年賀が習慣として定着したのは江戸時代からです。元日に天皇へ貢物をする習慣が、庶民の生活に取り入れられました。
父が今年五月に亡くなりましたが、来年のお正月はどのように過ごしたらよいですか?
身内が亡くなった年の次のお正月は、あまりにぎやかに過ごさないほうがよいでしょう。こうした場合は、門松やしめ飾りなどの家の外の正月飾りは控えます。また、以前は家の中の正月用のお飾りや正月料理は、用意しないことが一般的でした。しかし、最近は家族だけであれば、年に一度のお正月なので、おせち料理などを召しあがる方もいらっしゃいます。
毎年、神社でお札をいただいているなど、毎年していることができないと心配の場合は、忌明け後であれば神社へ行かれてもよいでしょう。ただし、気になられるのでしたら、三が日もしくは松の内が過ぎてからのお参りをおすすめします。また、神棚のしめ縄の交換などは、神式の場合、五十日祭までは神棚封じをしているためできませんが、忌明け後であれば例年通り交換してかまいません。
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